いろいろ煮詰まっている時に,
東北の地震の時の映像を探していることがあります。

激しく揺れる映像,町を津波が襲い何もかも流し去る映像,
直接被害を受けなかった私が見ても,当時の衝撃,恐怖が
甦ってきます。

中でも一番印象的な映像がウェザーニュースの当日の模様です。
気象情報を話す予報士の方が,発生した地震を報告し始めます。

震度5弱,で始まった地震の規模は,5強→6強→7 と大きくなり,
マグニチュードも7.7→7.9→8と瞬く間に巨大になってきます。
まるで市場での競りを見ているように。

あの日私は,米原の外れに出張していました。急な出張の上,
泊まることなど考えていなかったため,着の身着のままでの出発でした。
現場で走り回っていたので自身にはまったく気付かず,会社からの
安否確認の電話で知ることとなります。

同行の営業さんが『東北のほうで大きな地震だったみたいだよ』と
教えてくれましたが,それどころでは無かった私は『ふーん』といった
印象でした。

作業は予想以上に遅くなり,終わったのは確か19時前後だったと
思います。大阪の営業さんだったので,来るまで途中まで送って
もらえる事になりましたが,道すがら,ラジオから流れるニュースが
次々と地震の大きさを伝え,東に向う救急車・消防車・トラックの大群を
見るに至っては,えらい事が起きたと認めざるを得ませんでした。

結局京都駅まで送ってもらいましたが,新幹線はおろか在来線も
ほとんど止まり,ホテルも空きは無く,仕方なく米原行きの最終電車に
乗り込みました。

最近,米原駅のそばにホテルが出来ましたが,当時は何も無い所で
周囲をぐるりと探してもお店すらない場所でした。途方に暮れて
改札の前でボンヤリと佇んでいたのは私の他に20人ほどいたと思います。

米原は橋上駅で屋外ではなかったので,凍え死ぬことは無かろうと
野宿を覚悟した0時ごろ,駅員さんからホームの待合室を開けてくれると
ありがたいお話があり,窮屈ではありましたが暖房の効いた待合室で
一夜を過ごすことが出来ました。まあ,ほとんど眠れませんでしたが。

あの頃,ほとんど壊れかけていた私に止めを刺したのが
まさにこの日だったわけです。

あれからもうすぐ5年。壊れた町は復興を遂げましたか?
私はまだどこか壊れたままです。どうか良いお年を。